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大中 清子

Seiko Ohnaka

Episode

作曲家 大中恩との出会い ​

それは2000年のこと。

私は大中恩先生が作曲された歌曲集「ひとりぼっちがたまらなかったら」の楽譜を探していました。

​当時、私は東京藝術大学の大学院を修了し、オペラ歌手として演奏活動を始めたばかりの頃。

リサイタルで大中恩作曲の歌曲集を演奏しようと決めましたが、楽譜を楽器店・音楽関係の公共図書館で探してもどうしても1曲だけ見つからずに、やむおえず日本声楽家協会に問い合わせて、大中恩先生に直接電話をすることになりました。

恐る恐るでしたが、この歌曲集を歌いたいという気持ちが後押しして、大中恩先生に一本の電話をしました。

「先生が作曲なさった歌曲集『ひとりぼっちがたまらなかったら』の楽譜を探しています。」

すると、直接ご本人が電話に出られ、電話口の大中先生は「東京駅まで楽譜を持って行ってあげるよ。僕は黒いバックを持っているからね。」とおっしゃるではありませんか。

​そして、待ち合わせ当日。

「黒いバッグを持っているからね。」という言葉から、お洋服も黒かと勝手に想像して、指定された改札口で通り抜ける黒い服装の人々を目で追いつつ探し回っていたところ、先生は薄い色のお洋服で首にさらりとストールを巻かれ、にこやかに声をかけてくださり、楽譜を手渡ししてくださいました。

​私が『ひとりぼっちがたまらなかったら』を歌うリサイタルのチラシをお渡ししたところ、「僕はこう見えても忙しくてね。」というお返事でした。

​そうだろうな・・・と思いながら、お忙しい中わざわざ東京駅まで楽譜を持ってきてくださったことに、深々と感謝をお伝えしご挨拶をして別れました。

​ピアニストからのアドバイス

私は練習中に、ピアニストから「一度大中先生にみていただいては」とアドバイスされ、思い切って再び連絡をすることにしました。

​そうすると、本番間近のリハーサル練習を見ていただけることなりました。

そして、演奏会当日も大中先生は20人ほど連れて見に来てくださいました。

練習を通して大中先生の人柄に触れ、どんどん信頼を寄せておりました。

その後もずっと大中先生の歌曲を演奏会のプログラムに入れさせていただきましたので、大中先生より「僕の合唱曲も知ってほしい。」と声をかけていただき、私は「メグめぐコール」に入団することになります。

​当時の私はまだ駆け出しで、新聞配達をしながら細々と音楽活動をしていました。

​新聞配達は朝が早く、起きるのがつらい・・・。

私はふと、そんなことを大中先生に漏らしてしまったのです。

すると大中先生は、「僕から電話するよ」と。

次の日から毎朝4時半になると欠かさずモーニングコールの電話が鳴るようになりました。

​元気な声で「おはよう!」

​私は自分のやりたいことがなかなか上手くいかずに、悩んでいた時期でありましたが、声を聞くと不思議と元気が出てきたことを覚えています。

​同時に大中先生の音楽と人柄で心がとても温かくなりました。

​出会いから2年―――

大中先生に「お嫁さんになってよ。」とプロポーズをされました。

年齢は38歳離れ、しかも高名な作曲家の先生・・・。

​私は、さすがに現実のことと思えませんでした。

​しかし、大中先生は私が演奏会をするたびに福島から上京してくる両親を、必ず駅までお迎えに行ってくださりました。

そして、足を痛めている父親の代わりに荷物を持ってくれるのです。

​大中先生は、私の両親よりも一回り年上でしたが、「僕は海軍で階段を2段飛ばしで上がるよう鍛えられた!」とおっしゃって、毎回欠かさずに両親を案内してくれました。

​それでも私は結婚を迷っていました。

​ある日、いつまでも迷って返事をしない私を見かねてか、大中先生が電話でこんなことを話しました。

「今だったら君の力になってあげられる。でも、今しかない。僕には今しかないんだよ!」

​この瞬間、私の迷いが吹っ切れ、結婚を承諾することにしました。

心配していた両親も、大中先生の誠実さに触れ、私の至らなさを心配しつつも結婚をとても祝福してくれました。

そして、2004年に結婚。

音楽も人生も分かち合えるパートナーになり、私が書いた詩に大中先生が作曲することもありました。

その中の1曲「ねえ おかあさん」は、幼い子が絵本の続きを教えてと母におねだりする曲です。

大中恩作品を歌い継ぐ中で、私自身の音楽感も変わってきたように思います。

​これまでオペラのアリアを歌う際、どうしても悲しい曲に惹かれがちでした。

大中先生と一緒になってからは、明るい曲調の作品の素晴らしさに気持ちが向くよう変化しました。

​大中恩作品(もちろん、先生のお人柄も)の愛の豊かさ、ユーモア、温かさ、心の機微に触れて、共に歩んで14年。

​今、大中恩先生は隣にいませんが、私は大中恩作品を後世に歌い継ぐ活動をしています。

歌う仲間たちが楽しく、聴く人の心に明るい光を灯していきたい・・・。

​その想いを繋ぐため、私自身も大中恩作品を歌い継いでいます。